8月1日からはじまった「あいちトリエンナーレ2019」の企画のひとつ、「表現の不自由展・その後」が中止となりました。
プラスリラックスをはじめたきっかけは、アート初心者だった私が「アート鑑賞は多様な意見の交換の場になりえる」と気づいたことでしたので、今回の事態には少なからずショックを受けています。私が進行役を務めていた鑑賞会では、政治的に正反対のお立場の方々も、作品を前にお互いを尊重しながらお話をされていました。アートには対話を促す力があると思っています。
「表現の自由は憲法で保障されているのだからアートは何をやってもいいのだ」とは思いません。特定の人やグループの尊厳を傷つけるような表現は人として許されないでしょう。
今回の大きな問題の一つは、行政の長が、表現や展示の是非の判断に立ち入ってきたことだと思います。これを鑑賞者(私たち自身)が簡単に許してしまうと、国や行政が認めた表現しか見ることができない事態を招きかねません。これはかなり恐ろしいことです。
「税金や補助金を使うのだから従うのは当然」というご意見があるかもしれません。しかし、税金を使うことによって利益に左右されない公共の空間が生まれ、そこで様々な表現や意見交換が可能になるわけで、本来行政にはその機会を保障する必要があります(なんでも欧米化がよいわけではありませんが、欧米の美術館は既に積極的にその役割を担っています)。今回は「国際展」を謳ったアートの祭典の場でのことであり、世界中のアーティストが招聘され、多様な視点で表現された作品を鑑賞しながら私たちが意見を交換する場になったはずなのですが、その機会の一部が失われてしまったのです(今回、愛知県の大村知事が、憲法が保障した表現の自由や、文化行政の果たすべき役割を理解されていることがせめてもの救いに思えました)。
もう一つの大きな問題(最大の問題かもしれません)は、暴力をチラつかせて表現を封殺しようとした人々が出現したことです。展覧会の中止の理由もこの事態を招いたことが原因とされていますし、たしかに対処すべき状況が発生したと言わざるをえず、無念です。「暴力で表現を封殺する」ことに議論の余地はなく、絶対にあってはならないことだと思います。
先月末、無言館へのツアーに行ってきました。この事態を戦没画学生のみなさんはどう感じておられるでしょうか。
「戦争」という最大の暴力の導火線は、私たちのすぐ目の前に存在してしまっているのかもしれません。それは私たち一人一人がさまざまな表現を目にすることで防げるのではないかと、そう信じたいと思います。(K)
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