セミナーの間隔が空いてしまいました。すいませんでした。コロナのせいで仕事が減っていてヒマなはずなのに、なかなか手をつけられずに。。。
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さて、今回のテーマは「自分が見る」です。自分が見るということは、アート鑑賞でとても大切なことです。前回までの「よく見る」と並んでアート鑑賞の基本といってよいものです。アートを見て、楽しむのはほかならぬ自分自身なのですから、「自分が見る」ことは当たり前ということもできます。
ところが、実際には案外「自分が見る」ことはなされていません。ついつい、本や雑誌に書いてあった通りに、あるいは、テレビでいっていた通りに見ようとする人がけっこういらっしゃいます(あなたはどうですか?)。
本や雑誌、テレビの解説通りに見ていると、きっと、安心して見ることはできるでしょう。間違いなく見られていて、自分はズレていないという安心感です。
でも、もしそれで満足していたら、ほんとうにあなた自身が見ていることになるでしょうか。本や雑誌、テレビのいう通りに見るということは、受動的な見方です。また、あなた自身が見出した見方でもありませんから、他律的な見方でもあります。
つまり、本や雑誌、テレビのいう通に見ているだけでは、受動的で他律的な見方ということになり、そこには肝心の「あなた」自身が限りなく存在していません。能動的で主体的な見方とはいえないわけです。そのような見方で満足していていいでしょうか、という問いかけが生じてきそうですね。
では、また1枚の絵を見ていきたいと思います。
ディエゴ・ベラスケス 《ラス・メニーナス》 1656 プラド美術館
これはご存じの人も多いでしょう。ベラスケスの代表作に位置づけられる《ラス・メニーナス》です。世界三大絵画のひとつとされることもある名作中の名作と誉れ高い作品ですね。
私はプラド美術館でこの絵を見ました。そのことがちょっと自慢なわけですが(笑)、たしかにすごい絵だなと圧倒されるものがありました。かなり大きな作品で、描かれている人物はほぼ等身大だったように思います。きっと、本作を高く評価する人は相当多いのではないかと推察します。
しかし、それほど有名で評価の高い絵だというのに、この絵に描かれている場面がどういう状況なのかよくわからないのです。いったい、いま絵の中では何が起こっているのか? 専門家のあいだでも意見が割れています。
そこで質問。あなたは《ラス・メニーナス》で描かれている場面はどういう状況だと思いますか? 絵をよくご覧いただき、「自分が見る」ことを意識して、ご自分なりの解釈を試みてください。
あまり余計なことをいうと先入観を与えたり、本来のあなたの見方から別方向へ誘導してしまう恐れがありますので、いまの時点では何もいわないことにします。
お考えいただいた解釈は、ぜひ編集部までメールでお寄せいただければ幸いです(↓)。
info@plusrelax-art.com
では、今回はここまでということで。
(藤田)
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